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令和の芸人さん、もっと体張った方がいいんじゃないかな
最近テレビで「令和VS昭和」みたいな番組を見ることがあった。
あれを見てると平成生まれの自分は、一度昭和に戻ってもいいじゃないか、いや、寧ろ戻りたいと思った。
完全に戻ってしまうと、何かと不便なので部分的に戻してもいいと思う。
何故なら、使う資源も少しは減りそうだし、何よりも今は何か寂しさが見え隠れしているからだ。
貧乏は困るけど、ある意味良かったかも
最近の親は自分たちも好きだからか、静かにしてほしいのか、すぐに小さい子にデジタルな物を渡してしまいがちだ。
子どもたちの想像力と創造力があああ。
著者は7人家族。勿論子どもが5人だ。なのであまりスペックの高いおもちゃなど与えられなかった。
ゲームを持つことが許されたのは、長男だけ。だが、それは決してえこひいきなどではない。ただ残りの兄妹が約束を守らなかったから没収されただけの話だ。
ゲームもあまりスペックの高いおもちゃもない残りの兄妹たちはどうしていたか、昭和魂を見せつけるかの如く、自ら作っていた。
次男は新聞を細く丸めて武器にしたり、折り紙を折っていたり。長女は絵を描いたり、折り紙で人形ごっこしたりしていた。
下の方は、兄や姉たちが遊んでくれるのであまりそういうことはしなかったかもしれない。絵は得意でも折り紙などの他のことは聞かないので。
兄妹が多いおかげで暇つぶしの仕方にもそこまで困らないし、何よりも自分で作ろうとするので手先が器用になった。
他にも、絵本を読んでもらったり、絵を描いてもらったり、今に比べると長い間家族の距離が近かったようにも思える(ちゃぶ台で雑魚寝だったことも理由の一つかもしれない)。
忙しい昨今のお父さん、お母さんには難しいことだ。
せめて、与えすぎることは止めてほしいな。あまり与えられると自分でなんとかしようという力が育たなくなる。
著者が自意識ライジングしていた中学時代、家庭科で壁掛けポケットみたいな物を作る授業があった。
各々、材料を共有のボンドでくっつけていたが、自意識ライジングした自分には言えなかった。ボンド貸してと。
ではどうしよう。ひらめき!あ、そうだ。全て縫い付けてしまおう。
そして一人だけ趣きの違った壁掛けポケットが完成したのだった。
情けない例だが、こういう感じで危機を脱することができる。なので、色んな物を与え過ぎないことをお勧めする。
ないのなら 作ってしまおう なにもかも
携帯がないと死ぬとか聞き飽きたから違う表現をしろ
寂しいと感じるのは、携帯を持っているせいで、全員が同じ部屋にいるのになんか距離を感じてしまうことだ。
あなたの瞳に、私はうつらないのね…的な。
親の方が携帯依存症のようで、子どもに注意できる立場にいないこともあるし、食事中も触っていたりする。
なくなったら死ぬという声も同期から聞いたことがある。
もし目の前で叩き潰してしまったら死んでしまうというのか。ならば、死因はショック死だな。
そんな人たちが親になるって大丈夫だろうか。我が子に何か起ころうとしていても本人の目はちいさな画面に奪われている。
そして大惨事になり、親は監督不行きのレッテルが貼られてしまう。
こんなことが起こるのなら、ネットなんてない方がよかった。電話を携帯できるようにならなければよかった。
そういった理由で昭和の暮らしの方が善さげに思える。
なんかもっと言いたいことあった気がするけど、書き過ぎたので終わろう。
文章:ぴえろ