人は、何をするためにこの世に生まれてきたのか?
人は、望むと望まざるとに関わらずに、この世に生をうけます。
人として生まれるのは、非常に難しい、稀であると言われますが、その人としてこの世に生をうけることができたのですから、この生を意味あるものにしていきたいものです。
仏典に、「衆生所遊楽」という言葉があります。
人が、遊楽する所という意味です。
遊楽とは、ただ単に遊び楽しむという浅い意味ではなく、苦悩多き世の中を、山登りを楽しむがごとくに、苦闘しながらも楽しむという意味です。
山登りが、身体の弱い人には苦痛に思えることでも、体が丈夫で頑健な人には、まわりの景色も楽しみながら登れるように、生命力の強い人には、この苦悩多き世の中を楽しむことができるのです。
それには、生きる力、活力を生み出すことのできる哲学が必要だと思うのです。
筆者は、若い頃、生きていることにむなしさを非常に強く感じていました。
生きることに疲れ、何をしてもむなしい思いになりました。
生きている意味が見いだせずに悶々としていました。
希望というものが持てなかったのです。
しかし、信仰というものを持ち、生きがいと言おうかそういうものを掴むことができました。
人は生きる意味を問うことのできる生き物です。
苦悩と戦いながら、大いにこの世の中を楽しんでいきたいものです。
そう今は感じています。
一人でも多くの人が、この現実世界を遊楽できるように。
そう願っています。
共に。
文章:シャーペン
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