歴史

【尼崎の歴史発掘】菅原道真ゆかりの神社、『長洲天満宮』紹介

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菅原道真ゆかりの神社、長洲天満宮はJR尼崎駅から道路の大物線を南に約870mの所、兵庫県尼崎市長洲本通3丁目5-1にあり、現在の本殿は『棟札』により1607年(慶長12年)に建てられた事が解っており、桃山時代の文化特徴を今も保ち県指定重要文化財になっています。

 

道真公と長洲とのゆかりは菅原道真が『藤原時平』の策謀によって太宰府に左遷され、船で淀川を下り神崎川を経て大物が浦の潮待ちの為に長洲の浦に下船したことから始まります。この時に長洲の里に向かうために砂浜を歩いていた道真公の足元が砂まみれになったのを見かねて里の老婆が池の水で清めたと伝えられていて、この池が境内に『菅公足洗之池』として現存しています。

 

道真公が長洲の浦に船を泊め、長洲の里にしばらく留まっている時に、村人に此処は何処かと尋ねられた際、村人が「長洲でございます」と答えたところ、太宰府に流されている途中の所も「ながす」と言うのかと嘆き悲しまれ『人知れず おつる涙は 津の国の 長洲と見えて 袖ぞ朽ちぬる』と歌を詠まれ、自画像を下賜されました。村人一同は気の毒に思い周囲の草木もしおれましたが川上から流れてきたネギだけがしおれず元気だった為、それをうとましく思った村人はその後にネギを作らず食べることもしなくなったと云われています。

 

また太宰府への船出が明朝の一番鶏が鳴いた時となった際に、道真公をうとましく思う者が、夜中に雄鶏の足に湯をかけました。それで朝が来たと思った鶏が鳴いたため夜明け前に出立することになり、鶏も飼うこともしなくなったと云われています。

 

村人はその後に道真公の遺徳と自画像を祀る祠を建てたのがこの神社の始まりとされています。後の世に当地の領主が領地替えの時に強引に画像を持ち出したところ、領主やその周りに凶事が多く起こったために返却との言い伝えが残っています。

 

神社の近くには道真公の乗る船をもやっていたと云われるところに『菅公船つなぎの松石碑』が建っています。

場所は神社から東に約470mの長洲小学校北門脇、尼崎市長洲東通3丁目7-1です。

 

道真公を祀った神社は約12000社以上ありますが、この神社は菅原道真を深く信仰した幕末の探検家で『北海道』の命名者の『松浦武四郎』が作った『菅公聖蹟二十五拝』の25社の内の13番目に数えられています。

 

 

文章:北山南河

 


 

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