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【尼崎の歴史発掘】織田信長に焼き討ちされた尼崎最古の古刹『大覚寺』紹介
大覚寺は阪神尼崎駅から南西約400mの兵庫県尼崎市寺町9にある律宗寺院で、寺町は大覚寺以外にも多くの寺院が建ち並んでいる寺社街です。
尼崎市で現存する最古の寺である大覚寺は、603年(推古13年)に『聖徳太子』が『敏達天皇』に招かれて来日した百済の高僧『日羅』上人に命じて長洲の浦(現在の尼崎)に大阪府豊能郡能勢町の『剣尾山』にある『月峯寺』の遙拝所である『灯炉堂』が開かれたのが始まりとされています。
月峯寺も聖徳太子の命で日羅上人が600年(推古8年)に創建されたとされており、大覚寺の山号の月峯山は月峯寺に由来すると云われています。
1359年(延文4年)12月から翌年5月まで室町幕府二代将軍足利義詮(あしかがよしあきら)が大覚寺を本陣に大軍を率いて合戦の指揮を執りました。
1569年(永禄12年)2月28日に織田信長の配下の軍勢3千人が庄下川西岸の大覚寺別所に陣取り、尼崎に矢銭(軍資金)を強要しました。これを拒否したため3月6日に戦闘になり住人男女30人が殺され、尼崎は焼き討ちに合い大覚寺の大部分が炎上しました。
1617年(元和3年)の尼崎藩初代『戸田氏鉄(とだうじかね)』の尼崎城築城に伴い現在の寺町に移転しました。
現在の大覚寺は、2月3日の節分には『大覚寺身振り狂言』奉納やからくり人を使った『船弁慶からくりみくじ』・『芦刈からくり堂』や昆布を身にまとった『昆布だるま』授与や能楽の「芦刈」に由来する『芦刈の破魔矢』授与が行われています。
文章:北山南河
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